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2010年12月10日 (金曜日)

RFIDタグに関し,2011年にはどのようなことが問題になるか?

下記の論説が出ている。

 2010 will be remembered mostly as a year to forget. So what will make 2011 a much better year?
 AAIM: December 01, 2010
 http://www.aimglobal.org/members/news/templates/template.aspx?articleid=3809&zoneid=24

この中で,misinformationという表現が目につく。特定の個人に対し,誤った評価をし,誤った価値づけをした場合,それは,プロッサーの第3類型に属するプライバシー侵害を構成し得る。

例えば,債権管理組織が特定の債務者の弁済能力等について誤った評価をした結果,その債務者が資金の借り入れをすることができなくなり,倒産するに至ったというような事例を考えると,(日本の普通の民法学者はそう考えないかもしれないが,プロっサーの理論では)プライバシー侵害の一種として不法行為の原因となる,ということになる。これは,「評価」とは「評価者」の主観に過ぎず,事実そのものではないし,一般に事実とは相当かけ離れていることが多く,かつ,その評価には期待値を盛り込むことができないということに由来する。まして,このような評価がプログラムによって自動的になされる場合,人間が個々の事例について評価の微調整をすることが困難である(ただし,悪い方向への調整は遠慮なくなされるのが通例)。とりわけ,過去からの「延長」のみで評価が実行される場合,期待という要素を合理的に取り込むことができない。証券投資関連の評価システムでは,このことが致命的な欠陥となり得るだろう。

加えて,凡人が構築した「評価基準」で天才を評価することができないことは当然のことだ。評価者の能力が(相対的な意味で)著しく低すぎて,何も理解できていないからだ。

そうしてみると,ライフログを含め,人間に対する自動的な評価システムは,それ自体として公序良俗に反する無効なものであるとの考え方も出てくる。

現実問題として,誰も「正しい評価」などできないのだ。

もしそれが可能であるとするならば,ノーベル賞受賞者はもっと若い時期から賞賛の的とされていたはずだ。彼らがノーベル賞を受賞すると何十年も前から信じていたマスコミ人はおそらく皆無だろう。

それくらい,「評価」というものはあてにならないものだということを銘記しなければならないし,「評価手法」なるものも主観的過ぎて実際には誤り多いものであることを理解すべきだし,それをプログラムとして実装し自動実行することがいかに危険なことであるかを知らなければならない。

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