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2010年12月13日 (月曜日)

価値の評価能力

いろんなところで様々な実験をしている。

「値段」または「金銭的価値」に対する評価能力についての実験も含まれる。

現時点での暫定的な結論としては,大半の人間には評価能力がないということになりそうだ。

このことは,ノーベル賞受賞者の多くが,その論文等を発表した時点ではそれほど注目されていなかったことが多いという事実を説明する際にも応用可能ではないかと思われる。

要するに,その価値がわからないのだ。

逆に,「ノーベル賞」や「文化勲章」といった値札的なラベルが付されると,そのように評価される。これは,その人の価値を評価しているのではなく,ラベルを神社の御札のように拝んでいるのと同じではないかと思う。やはり,その人の価値を正当に評価していることにはなっていない。

非常に有名になった画家の中にも若いときにはぜんぜん評価されていなかった者が少なくない。同じ人間なのに,誰かが「天才だ」というラベルをはってくれるまではただの人という扱いだからだ。要するに,世間の圧倒的多数は,その天才画家の才能とその作品の経済的価値を正しく評価することができない。

その結果,例えば経済理論の分野では,「需要と供給の関係を合理的に評価可能な人間」を前提とするタイプの経済理論は,実は根底から虚偽であることになる。法学でも同じで,「合理的な判断が可能な独立した個人」を前提とする現在の法学上の基本理論の大半は,仮に理想を示すものではあっても事実を反映するものではないことになる。

むしろ,「衆愚」をデフォルトとするタイプの基本理論のほうがむしろ実践的であり実用的であり,事実を反映するものであることは,そのことを意味している。ヒトラーのやり方はその典型的な成功例の一つかもしれない。

ところで,ビジネスの場面では,このことが大いに逆利用されているように思う。

要するに,無価値な商品やサービスであっても,価値があると思い込ませるのに十分な「値札」や「ラベル」などが付されていることが重要なのだ。

逆からいうと,そのような「値札」や「ラベル」を一切信じないことこそが真の価値評価の上では大事なポイントになるのではないかと思う。

監査等でも同じことであり,逆説的な言い方をすれば,形式的な意味での「監査結果」や「認証」等を一切信じないことが実質的な意味での監査の要諦ではないかと思う。

いわば,これらの「シンボル」は,評価能力を有しない圧倒的多数の人々の不安を沈静化させ社会を安定状態にするための麻薬的な作用を有する社会的機能の一種として理解するのが正しいのではないかと思う。

もし,仮に,未来社会において人々が非常に賢くなるとすれば,これらの麻薬的な「シンボル」は一切機能しなくなる。

おそらく,そのような未来は来ない。

しかし,様々な未来を想定しながら理論それ自体の健全性を検証する作業が必要であることは否定しようがない。

 

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