下記の記事が出ている。
Amazon randomly censoring incest books
Register: 17 December 2010
http://www.theregister.co.uk/2010/12/17/confusion_over_amazon_censorship_policy/
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以下は,あくまでも一般論であり,特定の個人・団体・組織を念頭においたものではない。
近親相姦を扱った世界で最古の書籍は,たぶん,『旧約聖書』だろうと思う。
最初,アダムとイブしかいなかったが,ノアの洪水に至るまでに随分と増えたことについて,近親相姦があったからだと考える者が(キリスト教信者を含め)圧倒的多数だ。
また,有名なソドムのお話しの中でロトが災難を逃れた後,山の洞窟の中で娘達とどういうことになったかについて旧約聖書には明確に記述しており,このことを題材にした絵画が無数に描かれてきたことも事実だ。
他方,考古学的文献というべきかどうかよく分からないのだが,古代エジプトをはじめ世界の様々な古代王朝において近親結婚が行われたことは事実であり,そのことが碑文などに記載され遺されている。
仮にこれらのものが「有害」であるとすれば,(特に児童が)旧約聖書などを読むことを禁止しなければならなくなるはずだが,それでよいということなのだろうか?
私は,近親結婚をよしとするものではなく,むしろ近親結婚により遺伝子上の問題が発生する危険性が著しいため好ましくないことだと考えている。
しかし,そういうこととは無関係に,事実として近親相姦が存在することは否定できないように思う。
以下は,近親相姦とは無関係のものも含め,更に一般論。
一般に,(違法行為を含め)事実を記述したり表現したりすることがどうして違法であったり有害であったりするのか判断に困ることが多い。しかし,事実を記述したり表現したりさせないで(政府等が)都合の良いように情報操作をすることによる弊害が著しいことは,過去の歴史が明瞭に示すところだろうと思う。
市民は為政者に対して政治を任せている。しかし,それは政治的機能を任せているだけのことであり,精神面でも為政者のほうが市民に優越するということを承認しているわけではない。為政者は,市民の精神面に干渉してはならない。
とりわけ,特定の政治的権限をもった者が文学者でもある場合,自己のもつ美的感覚,完感性,芸術的信念だけを押し付けることは,もちろん精神的自由権の侵害となるだけではなく,権力の濫用そのものだ。政治的権限をもたない者が政治的権限をもつ者とは異なる美的感覚,感性,芸術的信念をもっていても,政治的権限を有する者によって(権力の行使として)一方的に抑圧されてしまうことになるからだ。そのような権力の濫用がある場合,当然にリコールの対象となるだろう。
私は,芸術家が政治家になることを否定するつもりはない。しかし,権力の濫用を防ぐためには,その芸術家である政治家は芸術に関連して一切ノーコメントでなければならない。芸術は,精神的世界の中でも最も崇高な部分を構成するものであるので,特定の美的感覚,感性,芸術的信念などの押し付けを極力排除しなければならない。
私は,幼少のころからそのように思ってきたので,国語における文学作品の鑑賞,美術における絵画の鑑賞等の授業が苦痛でならなかった。なぜつまらない教師の陳腐な感性を受容しなければならないのか,私には全く理解できなかった。芸術的感性に関しては,ごく少数の優れた教師を除き,圧倒的多数の場合に私のほうがはるかに勝っていると思っていたし,今でも思っているし,これまで出会ったどの美術教師よりも優れた絵画や写真をつくることができるという自信があるので,他人の感性を押し付けられなければならない必然性のようなものを承認する気は全くない。
文化勲章を受けようと,ノーベル賞を受賞しようと,***賞を受賞しようと,つまらないものはつまらない。何万部もの売り上げがあろうとどうだろうと空虚なものは空虚だ。それらを好む者は大いに好んだらよろしい。各人の嗜好の問題に過ぎないし,他人の嗜好に干渉する気は全くない。それと同時に,私も干渉されたくないわけで,私まで有象無象に迎合しなければならない理由が全くわからない。
逆に,何の賞を得ているわけでもなく,無名の作家の作品であったとしても,心打たれ,思わず落涙してしまうようなものがたくさんある。そのような作品の作家達は,たまたま商業出版社から声をかけてもらえないためにメジャーになれないでいるだけかもしれない。あるいは,職業作家としての必須の能力(例:継続的に売れる作品を製造する能力)を十分にもっていないからかもしれない。それでも,そのような優れた作品が無数に存在しているという事実は否定しようがない。他人は,そのような作品を「くだらん」とか「つまらない」とか思うかもしれない。それはそれでその人の自由だ。しかし,私は,真の審美眼をもたない人間のほうが圧倒的に多いと信じているし,私の感性を信じ続けたいと思っているし,そのことについて他人から干渉されたくはないとも思っている。
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