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2010年11月29日 (月曜日)

日本人は熱しやすく冷めやすい?

下記の記事が出ている。

 Smartphones, Twitter top Japan hit product survey
 REUTERS: Nov 26, 2010
 http://www.reuters.com/article/idUSTRE6AO1F120101126

電通の調査結果とのことで,英語の記事としてロイターで紹介されているというところが面白い。

日本人がとても軽薄なようにも思われるが,これは日本人に限ったことではなく,韓国で中国でも基本的には同じだろうと思う。

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先日,ある知人とパブリッククラウドに関して意見交換をした。

彼は,世界的に非常に有名なIT系企業の関係者だ。

彼の意見によると,「クラウド,クラウド!」と騒いでいるのは,長くもってせいぜいあと2年くらいのものだろうという。

私もその結論には賛成だ。

しかし,私は,彼の姿勢に疑問をもつ。

そのように考えているのであれば,なぜそのように公言しないのか?

要するに「商売」しか考えていない。いま儲かればそれでよいのだ。

私は,商売人ではない。

安心して生活できる社会を実現するために法理論を考え続ける。

もしその理論が商売人にとって商売の邪魔になるものであるとしても,それでも考え続ける。

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コメント

nogaさん

コメントありがとうござます。

日本人論について始めると様々なご意見があるだろうと思うのでやめにしときますが,現象として流行に流されやすく「自己」というものをできるだけ表に出さないようにするといった傾向があることは事実だろうと思います。

その原因は,ご指摘のように言語それ自体の特性による部分があるのかもしれません。

また,こんなちっぽけな島国の中に1億以上もの人々がひしめきあって生きているので(適正人口は3000万人未満),自分を殺して他者とあわせるしか生き延びる方法がないという面もあるのかもしれません。

いろんな意味で悲しい国だと思います。

でもまあ,そんなことを言っていても始まらないので,私は,もう少し長いスパンで安定した経済を維持・構築できるようにするための哲学的な事柄を考え続けようと思います。

投稿: 夏井高人 | 2010年11月29日 (月曜日) 20時24分

日本人、中国人、韓国人は、熱しやすく冷めやすい。それは、日本語、中国語、韓国語には、時制がないからである。これらの国民は、現実の内容しか考えていない。

レミング、、、、、この小さなネズミの何百万という大群が、4年ごとに狂ったように、ノルウェーの崖や海岸から海にはいっておぼれ死ぬという話がリーダーズ・ダイジェスト社の <世界不思議物語> に書いてある。
私は、敗戦直前のわが国における一億総玉砕の話を聞くたびに、この小さなネズミの話を思い出す。
半ば本能にも近いこの種の日本人の行動を回避する手段はないものだろうかということである。

日本語の特質は、団結性 (solidarity)、信頼性 (trust)、仕事熱 (work enthusiasms)、および 忠誠心 (loyalties) を高めることである。
日本人は、日本語のおかげで国を技術立国となし、経済大国とした。細工物の工夫と序列協力による民の力が大きくものを言ったのである。

だが、日本語にはリーズン (理性・理由・適当) 概念がないので、リーズナブルな (理性ある・理由となる・適当な) 答が出せない。
リーズナブルな現実対応に行き着くこともなく、一億総玉砕の危険性もある。
アンリーズナブル (理不尽) な結論の下に、団結性、信頼性、仕事熱、および 忠誠心を強く求めれば、国民は「聞け、わだつみの声」の状態になる。

つまり、<きけわだつみのこえ> の中で、渡辺一夫は「不合理を合理として認め、いやなことをすきなことと思ひ、不自然を自然と考えねばならぬやうに強ひられ、、、、、」と書いている。
どうしてこのような倒錯が起こるかといえば、「不合理、いや、不自然」が「今ある姿」であるのに対して「合理、すき、自然」は「あるべき姿」の内容である。
日本語脳では、「今ある姿」と「あるべき姿」並置は不可能であるから、「今ある姿」が切実な要求となれば、「あるべき姿」は脳裏から消えてなくなる。それで、この国の万事が気違い沙汰となる。律儀な日本人のだらしなさである。

カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。

、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。 、、、、、 
西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。(引用終り)

もしもこの先、我々に理性が獲得できず、理性判断が不可能な状態が続くのであれば、我々日本人は理不尽な答えに対して現状打開の方策もなく、ただただ耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び続けることになる。
逆に、英語を学んで日本語思考の拙さを補えば、日本人は鬼に金棒の民族となる。
英語の普及を図るために、英語をわが国の第二公用語とすることが望ましい。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

投稿: noga | 2010年11月29日 (月曜日) 14時27分

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