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2010年9月23日 (木曜日)

新聞社の報道姿勢に思う

村木氏の無罪判決が確定した後の新聞社の対応は千差万別のようだ。

極悪犯罪者であるかのように報道していた某新聞社は,黙して語らない。名誉毀損による損害賠償額の予測に明け暮れしているのだろうか?

ある新聞社は,客観報道に努めたと自画自賛している。しかし,別の無罪を主張し続けている者との関係の記事では徹底して犯罪者扱いをしてきた。無罪を主張している事件ではどの事件でも同じように客観報道をしてきたというのであれば別だが,そうでない以上,自画自賛すべきものではない。この事件では,「例外的にかろうじて失敗を免れた」と正直に書くべきだろう。

別の新聞社では明らかに狼狽が読み取れると同時に,すべて某検事が悪いと責任転嫁に務めている。

それでもなお,新聞社はまだ良いほうではないかと思う。ひとくちに週刊誌とは言っても千差万別でピンきりではあるのだが,数ある週刊誌の中にはとんでもないものがないわけではない。

テレビ局に至っては論評する気にもなれない。報道番組等で芸能人に無責任なことを言わせるのはもういい加減やめにして欲しい。レベルが低すぎる。芸能人は自分の芸を磨き,芸の世界で生きてほしい。

新聞と週刊誌とどちらにも共通することとして,被疑者または被告人が無罪を主張している場合,頭から有罪と決め付けるのではなく,どちらの立場も尊重した報道を心がけるべきだ。新聞社は「人権を守る」と常に口にしているのだから,人権保障のための基本原理の一つである「無罪の推定」も堅持しなければならない。もしそれでは迫力を欠くというのであれば,常に損害賠償責任を負う覚悟で腹をくくってものを書くべきだ。本来,マスコミの人間というものはそのような気概をもって生きているからこそ世間から尊敬を受けることもできるのだ。自己批判をしろとまでは言わないが,無罪となってから「知らん振り」をするのは最もよくない。

人を裁く権限をもっているのは日本国では裁判所だけだということを銘記すべきだろう。


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 検事による電磁的記録日付改ざん事件における弁解の奇妙さ
 http://cyberlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-2b24.html

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