Java特許侵害訴訟と関連するOracleの動き
下記の記事が出ている。
Oracle offers Java distraction to Google fisticuffs
Register: 16 September 2010
http://www.theregister.co.uk/2010/09/16/oracle_google_java_distraction/
オープンソースは,フリーウェアでない場合が多々ある。逆に,例えばパテントプールのようなところと加入契約をして利用するオープンソースの場合には全てが特許のあるソフトウェアであることになる。そのような場合には,利用条件の違反があれば特許侵害となることが明らかだ。このことは,著作権の分野でのコモンズでも何ら変わりがない。
権利の有無と権利の利用方法とはわけて考えないといけいないので,いちいち許諾を得なくても利用可能なものであっても誰かが権利を有するものであることがあり,利用方法次第では権利侵害となる。
そしてまた,このことは知的財産権だけには限らず,人格権でもそうだ。
著作権法だけ学んで法の全部を知ったつもりになっている愚かな人々の中にはそのような間違いを犯す者がときどきいる。
以下はあくまでも一般論。
法律家というものは,一般に,全分野をきちんとできて当然だし,少なくとも司法試験合格者はそのことが国家試験によって認証されていることになるので,むしろ普通のことだと言える。このことは,日本だけではなく,米国でも欧州でも先進国では全部どこでも同じだ。
司法試験という認証を受けていない人であっても,非常に優れた法学者の中には,司法試験を受験していなくても,どの分野についても非常によくわかっている人が決して少なくない。逆に,法学博士の学位がなくてもどの法学者よりも優れた学識を有する法律実務家もまた存在する。したがって,本当は認証の有無と能力の有無とは全く無関係なことだ。国家認証制度は,一応の目安だと考えるのが正しい。にもかかわらず,ほとんど実力も経験もないのに肩書きや経歴だけひけらかす人は愚かだ。もちろん,名実ともに優れていることが理想だということは言うまでもない。
どちらにしても,非常に特殊な分野しか知らない者のことを法律家と呼ぶことはできない。
だから,企業経営者は,複数の弁護士と顧問契約を結ぶことがある。これは,一人の弁護士で全分野をカバーすることが難しいことがあることと,いわば保険のためということもあるのだろう。
しかし,気をつけなければならないことは,法理論というものはパーツだけでできているわけではなく,全体としての整合性が非常に重要だということだ。これは,法哲学とでも呼ぶべきもので,それなしの法律家は,たしかに法律家かもしれないが,理論をもたない法律家と評価すべきことになるだろう。屁理屈と理論とは本質的に異なるものなのだ。
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