IPA:インターネット上のサービスにおけるプライバシについての調査結果
IPAのサイトで,下記の調査結果が公開されている。
インターネット上のサービスにおけるプライバシについての調査結果を公開
~日本・EUの比較により、日本人のプライバシ侵害を自身で防ぐ意識の低さが判明~
IPA: 2010年8月13日
http://www.ipa.go.jp/about/press/20100813.html
日本では,プロッサーの4類型の中の第1及び第2の類型のプライバシーのみをプライバシーとして理解する学問的伝統のようなものができてしまっているためわかりにくくなっているかもしれない。
今後の学問のあり方としては,是非とも,プロッサーの類型における第3及び第4の類型を再評価することが必要だ。
そうでなければ,インターネット上のプライバシー問題をきちんと理解することができない。少なくとも,不法行為に基づく損害賠償請求をするというレベルでは,これらの類型をきちんと理解している必要がある。
なお,この見解は,私見ではない。
かれこれ何年も前のことになるが,『Q&Aインターネットの法務と税務』の編集会議のために岡村久道弁護士の事務所を訪問した際だったと記憶しているが,岡村弁護士が「プロッサーの4類型で既に整理し尽されている」という見解をお持ちだということを知り,私も全く同感だと答えたことがある。
以来,現実のインターネット上の事件を自分なりに整理しながら今日に至っているのだが,岡村弁護士の見解はやはり正しいと私も思うので,私もプロッサーの類型を参考にしながら整理してみると言う作業を積み重ねてきた。
とりわけ,いわゆるライフログや地理情報等のような公開情報でもあるような情報要素によってプライバシーの基本的部分が組み立てられているような事柄については,伝統的な憲法学上の理論ではぜんぜん駄目だ。そしてまた,憲法学上では「新しい基本的人権」として理解されているものの多くも民法の不法行為理論としては随分前に整理しつくされてしまっているものが少なくない。要するに,民法と憲法という専門分野が特殊に専門化しすぎた悪弊によって今日の学問的状況が発生しているのではないかと思う。
法律問題や法的紛争は,法律分野によって分断された形で発生することなどあり得ない。解析や解決のためのアプローチ(視点)が異なるだけだ。理想的には,どの専門分野に属する研究者であっても,常に六法全部について通暁・精通していることが望ましい。
ちなみに,順調にいけば,近々にその研究成果を盛り込んだ入門用書籍を刊行することができるだろうと思う。実用書的な書籍であるので,理論書としては扱われないだろうと思われるが,理論研究者へのプレゼントをたくさん盛り込んである。これが私からの最後のプレゼントになるかもしれない。
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コメント
高橋郁夫先生 こんにちは。
新しい理論と呼ばれているものが実は何百年も前のスコラ哲学の中に既にあったりとか・・・まあいろいろあります。
いま流行のクラウドにしても基本概念がつくられたのは随分と昔のことだし,実装を見ると,要するにWebバージョンのメインフレームなわけですし,実際に応用されているアーキテクチャや物理装置などもかなり陳腐なものですので,とりたてて新しいということはないと理解しています。だからこそ,昔メインフレームで批判されていたことはパブリッククラウドでも同じように起きるわけで,その意味では温故知新が大事であるとも言えると思っています。
3歳のころ,「人間はなぜ生きなければならないのか?」という疑問と出会い,以来,ずっと考えてきました。考えるためにありとあらゆることを勉強しました。そういう勉強をしていると,学校の授業の大半がまるで死んだ魚のように見えてしまいます。実際,私にとって,学校での勉強の多くは時間の空費だったと思っています。死ぬまで結論は出そうにないですが,今後も考え続けようと思います。
投稿: 夏井高人 | 2010年8月17日 (火曜日) 13時49分
>若いころに必死になって読んだ専門書をときどき読み返しています
今回の調査は、昔読んだ、法と経済学の本とかをまた読み返すきっかけになりました。
新しい分野のつもりでも、じつは、自分の昔の経験につながっていたりとか、そういうものでしょうね。
>日本の学問状況
昔は、日本では、ということを考えていたんですけど、このごろはあまり考えないようにしています。自分のアンテナのみを信じてます。
>生態学等を含め,自然から学ぶことは非常に多いです。
いいですね。私には、そのようなバックボーンがないので、どうしましょう。ミーハー好きをバックボーンまで昇華させましょうか。
投稿: 高橋郁夫 | 2010年8月17日 (火曜日) 13時24分
高橋郁夫 先生
調査の無事完了をお祝い申し上げます。
若いころに必死になって読んだ専門書をときどき読み返しています。いまなお色あせないのは,やはり我妻民法ですね。素晴らしいと思います。
これに対し,憲法や行政法の当時著名だった書籍については,「何でこんなものを真面目に読んだんだろうか?」と自分でもあきれてしまうものが多いです。この分野における日本の学問状況は悲惨なんて軽いものではないです。
どこかベースが間違っていたのだろうと思います。
公法と私法は確かに異なるものですが,公法上の権利とされているものが私法上でも法的に保護されるべき権利として扱われる場合,民法ベースで考えないといけないのに,憲法や行政法の専門家はそこらへんの研究を怠っていたと断言してよいでしょう。
批判してばかりいてもしょうがないので,訴訟やマネジメントという観点から,どう考えたらいいのかを模索し続けております。
そこにおいては,やはり,人工的な知識の系である法学の枠内だけでものごとを考えていては駄目だということを日々痛感します。生態学等を含め,自然から学ぶことは非常に多いです。
投稿: 夏井高人 | 2010年8月17日 (火曜日) 10時47分
夏井先生
ご紹介ありがとうございます。
日本の法律の学問のガラパゴス化あたりは、同様に感じます。プライバシという難問に取り組んで、日本の枠は乗り越えましたが、相手があまりに強力すぎました。ただ、全く別の角度からの光は当てることができたかなというところです。
入門書籍楽しみにしております。
投稿: 高橋郁夫 | 2010年8月17日 (火曜日) 09時32分