常識か非常識か
私にとって常識と思われることの中には非常識だと判定されてしまうことがある。その批判の圧倒的大部分は無知等による間違ったものなのだが,多数決が支配する現実の社会の中では多勢に無勢であり,どうにもならない。
今日,たまたま下記の記事を読んだ。
個人情報の収集は、自由を脅かす真の脅威
ウォールストリートジャーナル日本版:2010年8月9日
http://jp.wsj.com/IT/node_89907
ここに書かれていることは常識的なことばかりだ。
しかし,注目したいことは,本来なら単なる常識的な記事だけだと「記事」として掲載されることにはならないはずだという点だ。つまり,上記の記事の内容は,本当は極めて陳腐であり,常識に属するものであって,新たな記事としての価値がほとんどないのにもかかわらず,新聞社の責任者は,「記事としての価値が認められる内容だ」と判断したのだろう。この点に注目しなければならない。
要するに,常識が常識でないのは,日本だけではなく,アメリカでも同じだということになる。そして,その原因の大半は,やはり無教養と不勉強な者が実際には多数存在していることに起因するものと推定してよいだろう。
一般に,無教養で不勉強な人々と議論してみても,基盤が全く異なるので,どこまでいっても不毛だ。結果的に,無教養で不勉強な人々が,自分勝手に「勝利した」と思い込むことが多い。しかし,客観的には,明らかにばかげている。
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