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2009年12月13日 (日曜日)

インターネット中毒は自傷行為の一種?

中国では,ネット中毒が病気の一種として扱われてきたのだが,最近,それを論証するような論文が公表されたことから,その関連記事が次々とネット上に出ている。

 ネット中毒は自傷行為と重なる:中国の研究(WIRED VISION)
 PC Online: 2009年12月7日
 http://pc.nikkeibp.co.jp/article/news/20091207/1021062/

 Teen Internet-addicts show self-harming tendencies
 Press TV: 05 Dec 2009
 http://www.presstv.ir/detail.aspx?id=112945&sectionid=3510212

 Internet-Addicted Teens More Likely to Harm Themselves 
 Modern Medicine: Dec 9, 2009
 http://www.modernmedicine.com/modernmedicine/Modern+Medicine+Now/Internet-Addicted-Teens-More-Likely-to-Harm-Themse/ArticleNewsFeed/Article/detail/647609?contextCategoryId=40137

 『双语』中澳研究:网瘾青少年更容易自虐
 解放牛網: 2009-12-08
 http://www.jfdaily.com/blogart/117411.html

ネット中毒になった者に対し,「何故オンラインゲームにはまったりするんだ?」と問いかけてみても,あまり意味はないだろうと思う。

もちろん単なる現実逃避から始まる場合もあるだろうし,ゲーム中のアイテムなどをリアルマネートレードして金儲けしたいという射幸心のようなものから始まることもあるだろう。あるいは,オンラインゲームのことしか話題にできない交友関係の中から次第にゲームだけにはまりこんでしまうこともあるだろう。人それぞれだ。

ただ,オンラインゲームは,「自分で支配している」という感覚を味あわせてくれるかもしれない。現代の若者は意外と現実的であり,現実を直視する目をもっていたりするし,インターネットやテレビを通じて示される世界の現実は若者の「夢」を簡単に打ち砕いてしまうから,現実に立ち向かい,現実の世界の中で自分が「支配している」という実感をもつことができないか,または,できなだろうと諦めてしまうことが多いだろうと推定する。だから,オンラインゲームの中で味わうことのできる「支配感」は,一度味わうと絶対に抜け出ることのできないものとなるのかもしれない。

ある意味で,オンラインゲームは麻薬よりも麻薬的なのかもしれない。

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コメント

キメイラさん こんにちは。

おっしゃるとおりだと思います。

かつてはごく少数の専門家だけのためのものであったコンピュータが大衆化したことにより,類似の症候群も一気に大衆化したと考えることができますね。

それにしても,その「全能感」なるものは,本当の「全能」ではなく,誰か他のエンジニアが構築したソフトウェア(アプリケーション)の世界の中で既存のリソースをプログラムどおりに利用し続けているだけのことになるので,「全能者」というよりは「奴隷」に近い存在しなっていると評価すべきなのに,そのようには自己認識できていないところが哀れです。

もし本当に全能者になりたければ,全世界の人が利用者となる巨大なシステムを自分が構築し,その中にあるバーチャル世界で提供されるアプリケーションを利用させ,それなしには生活できないようにしてしまった上で,そのシステムを支配し続けるべきですね。そのようなシステムやバーチャル世界やアプリケーションを提供する者は,少なくともそのシステムの中では「神」に近い全能者として君臨することができるでしょう。とにかく,システムの支配者の側に回らないと駄目です。

もしかすると,ウイルスやワームを製造し続ける人々は,システム内の闇の世界の支配者となることをめざしているのかもしれません。ただし,この場合,健全にシステムが運営されているという状況がないとウイルスやワームが機能できないというパラドックスが存在しているので,彼らは,最終的にはオモテの世界の支配者の権限を奪うことをめざすことになるだろうと思います。

このパラドックスは,政治学の世界で言い古されている「独裁者のパラドックス」と類似のものであり,オモテの世界の支配者にも適用されます。上記の巨大なシステムの支配者は,人々がそのシステムを利用しているのでなければ支配者であり続けることができないので,日々,利用者の好奇心を満たすようなサービスを考え,提供し続けなければならなくなってしまいます。ローマ帝国の時代の「パンとサーカス」もこれに類するものかもしれません。

さて,誰がそのようなシステムの支配者であるかを一応措いて,世界のほとんど全部の人々が支配者の側ではなく利用者の側の人間になってしまったと仮定した場合,どのようなことが言えるでしょうか?また,そのような利用者だらけの世界の中で,見せ掛けの「全能感」を堪能したがる利用者がどんどん増えるとどうなるでしょうか?

私の予測では,結局,愚民ばかりになってしまうと思います。このような愚民の中には,オンラインゲーム中毒者だけではなく,システムの運用・管理業務の中毒者,ネット上のSNSの中毒者,音楽・映画などの中毒者も含まれることになります(←私もブログ中毒者かもしれません。(笑))。システムやサービスを利用するだけの状態が長期間継続すると,そのようなシステムに依存して生きる中毒者の数が加速的に増加してしまうかもしれません。ところが,彼らは利用者であって構築者でないので,システム構築の必要性を感ずることも,そのために必要な知識を獲得することも,そのノウハウやスキルや経験を身につけることありません。現実問題として,利用者としての立場にいる限り,仮想マシンの世界では,その背後にある実体を知ることができません。その結果,長期的にはシステムを守るための要員が大幅に不足することになります。その不足分を埋めるために蛮族の中から要員を採用せざるを得なくなるでしょう。

要するに,便利で簡単なアプリケーションを提供し続け,自分でシステム構築をしなくてもよいようにしていると,いずれエンジニアが枯渇してしまい,ネット犯罪者の中からエンジニアを採用せざるを得なくなってしまいます。しかし,採用されたネット犯罪者達が反乱を起こし,システム全体を破壊してしまうことになるかもしれません。

そんなことなどを考えると,巨大なパブリッククラウドコンピューティングサービスというものは,長期的には社会の健全性を損なうものであり,存在それ自体として「悪」であるということが明瞭となってくると思います。

企業その他の組織は,自前でシステムを構築・運用する努力を重ねなければならないと思います。それにはコストが発生します。しかし,そのコストは,単なるコストなのではなく,「自分が所属する組織のシステムを防御するための優れた兵隊となるような人材を徐々に育成していくために,非常に重要な役割を果たしているのだ」ということに全ての経営者は一日でも早く気付くべきでしょうね。

投稿: 夏井高人 | 2009年12月14日 (月曜日) 07時05分

 古くはホスト&ダム端末時代では,フレイムノイアとかDBインテリジェンスノイアとか呼ばれていた症候群と似ています。既婚者ならマイコンウイドゥと呼ばれていた時代もありましたし。
 マシンの前に座ると社会適応がよろしくない貧弱貧相な少年~中高年も,バーチャルイルージョンの世界では楽して全能感に浸れるのが病根だと思います。

投稿: キメイラ | 2009年12月14日 (月曜日) 01時00分

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