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2009年11月22日 (日曜日)

米国:オーケストラ指揮者が児童ポルノ犯罪のために職を失う

下記の記事が出ている。

 Orchestra leader cited for child porn
 Times Argue: November 21, 2009
 http://www.timesargus.com/article/RH/20091121/NEWS02/911210360/0/NEWS02

正直に言うと,かつて「音楽家になれたらいいな」という夢のようなものを抱いたことがある。けれども,現実は厳しく,自分の才能のなさを思い知らされ,「芸術を自分の職業にしてはならない」とかたく自分に言い聞かせてきたのだった。

世界には(当然のことながら)素晴らしい芸術の才能をもった人々がたくさんいる。しかし,才能があっても芸術家として生計をたてることができるかというと,相当に幸運に恵まれなければ無理だ。まして,芸術家として名声や地位や高い収入を得ることは相当に困難なことではないかと思う。

にもかかわらず,せっかくオーケストラの指揮者(監督)という重要なポジションを手に入れたのに,どうして児童ポルノなどというつまらないものに手を出し,人生を棒に振っててしまうのか。駄洒落ではないが,この人にとっては,指揮棒を振るのが仕事だったはずではないか。

あくまでも一般論だが,「生きている人間」である以上,普通は性欲がある。それ自体は否定できないことだし,宗教上の理由その他の理由により,想念の問題としては性欲を抑圧してしまうこと(または,抑圧してしまわなければならないこと)があるけれども,それを物理的(生理的)に払拭しきることは絶対に不可能なことだ。また,それなしには生物としての「ヒト」が繁殖し,子孫を残すことができない。

だから,私は生体として成熟した「ヒト」の性欲という生理現象が存在することそれ自体を否定するつもりは全くない。

私の親しい友人の中には,離婚し,別の女性と再婚した男性が少なくない。かつて恋人がいたけれども,きつい失恋の後に,女性と交際する気を完全に喪失してしまった人もいる。もちろん,単純な性欲だけでそうなったのではないと思う。何らかの微妙な人間関係のもつれのようなものが蓄積してそのような結果になったのかもしれないし,本当に理想の女性だと思える人と出会う時が遅すぎたのかもしれないし,幸福な関係が逆に怠惰と飽きの気持ちを発生させてしまうこともあるかもしれないし,単純に経済的な問題があったのかもしれないし,あるいは,何かほかの要因があったのかもしれない。所詮は他人のことなので,本当のことは誰にもわからない。様々なタイプのケースがあり得ることは当然のことだ。その中には,関係者全員が悪いことだってあるし,一方だけが悪いこともあるし,全員が悪くない場合だってあるだろう。そして,仮にその男性が単なる性欲という要因だけで別の若い女性を選んだのだとしても,それはそれでそれぞれの人の人生なのだし,そのような選択をした結果については,どんなにしんどくても自分が大人としての責任を負いながら生きていくことになるので,他人がとやかく言うべきことではないと思っている。このことは,大人である以上,男性でも女性でも全く変わらないと信ずる。

だが,大人が児童に対してよこしまな性欲を抱くことは単純な暴力(虐待)に過ぎない。そして,その暴力によって児童がどれだけ深く傷ついてしまうのかということをどうして理解できないのか。

よくわからない。

かつて音楽を心から愛した者の一人として,とても残念な事件だと思う。

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