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2009年11月 7日 (土曜日)

池田清彦+養老孟司『正義で地球は救えない』

たまたま書店で見かけて購入した池田清彦+養老孟司『正義で地球は救えない』という本を読んだ。昨年10月に出版された書籍だ。私が購入したのは第4版となっているから,かなり売れている本だと言って良いだろう。

 池田清彦,養老孟司
 正義で地球は救えない
 新潮社(2008年10月25日)
 ISBN-13: 978-4104231058

物理的にも内容的にも非常に薄い本なので,あっという間に読み終えてしまうことができる。書かれていることは,古くから言われている常識的なことばかりで,新味は全くない。むしろ,この本に書かれていることを知らない人は無知だと評価されても仕方ないだろうと思う。

ただし,現在の世間の「常識」は全く逆になってしまっている。そのあたりに,この本の存在意義があるのではないだろうか?

養老氏の著書を読むといつも思うことなのだが,そこに書かれていることで新味のあるものは何一つないのだ。常識しか書いていない。しかし,養老氏の本には世間で信じられている「常識」なるものとは異なる「当たり前のこと」が書いてあるから存在価値があると評価できる。おそらく,世間では「インチキ本」ばかりが流通しているし,(意図的にせよ,取材不足という過失に基づくものにせよ)マスコミから偽情報ばかり流されている結果,それによって(真実とは異なっていても)世間の「常識」なるものが容易に形成されてきたということなのだろう。

ところで,地球温暖化に関しては諸説ある。どの説が正しいのかは,どれもシミュレーションの一種に過ぎないので,確実なことが言えない。

ただ,はっきり言えることは,歴史時代に入った段階でも海水面は現在よりずっと高いところにあったということだ。全国に残る海生貝類の殻が蓄積された貝塚の所在地の海抜を全部プロットしてみると,かつては一体どのあたりに海岸があったのかがすぐに判る。そして,それが相当高いところに位置していたということを理解することができるのだ。当時,東京や大阪はその大半が海の底だったことを疑う者は一人もいないし,事実そうだった。もし温暖化によって海進が生ずるという説が正しいのだとすれば,その当時の平均気温は現在よりも相当高かっただろうということが推定できる。

そのような「動かすことのできない事実」から正しい推論をしなければならない。

仮に,日本各地に海生貝類を食べた殻を捨てた貝塚がつくられていた時代,日本を含む北半球が相当温暖な気候であったと仮定すると,当然,その時代の北極の氷も溶けてしまっていただろうと推定することができる。その結果,北極海に生息するシロクマやアザラシなどは死滅してしまっていただろう。そして,その後の寒冷化の時代(テムズ川が氷結したこともある。)に北極の氷や山岳地帯の氷河が形成されたのだとすれば,北極海の氷や巨大な氷河の形成速度が信じられないほど速いということにならざるを得ない。また,もし北極の氷が全部溶けてしまうとシロクマやアザラシなどが絶滅してしまうとすれば,これらの生物が長くても過去わずか数千年の間に地球上に初めて誕生した生物であり,新たな生物の誕生の発生確率は通常考えられているよりもかなり高いのだと言わなければ,つじつまが合わなくなってしまうことになるだろう。このような矛盾を解決するためには,「相当に温暖な時代が長く続いても北極の氷や山岳地帯の氷河が全部溶けることはない」と考えるしかなくなるが,このような考え方を肯定するのは難しいのではないだろうか。仮に「相当に温暖な時代が長く続いても北極の氷や山岳地帯の氷河が全部溶けることはない」と考えることができたとすれば,今度は,地球温暖化説によって危惧されている出来事の多くが実は間違いだという結論に達するしかないことになるだろう。これを自己矛盾という。

どちらにしても,推定(シミュレーション)しか存在していない(過去または未来の)世界のことであり,現実にそうであるわけではないので,絶対確実だということは何も言えない。

しかし,どちらの立場にたつにせよ,非常にわずかな材料だけですべてを即断することはかなり危険なことだということは言える。とりわけ,複雑系の考え方をベースにしてものを考える場合,あまりに単純素朴なシミュレーションは自己矛盾そのものだということを理解すべきだろうと思う。

ちなみに,このような問題については,何かを主張する者がその主張する事実について常に証明責任を負っており,社会の中では「裁判における証明責任の分配法則」のようなものは存在しないと考えるのだが,現実にはそうではないということに留意すべきだろう。つまり,それが間違いであろうと錯覚であろうと迷信であろうと何であろうと,世間で「常識」とされてしまったことを覆すことは大変なことだろいうことだ。このことは,ガリレオ裁判で端的に表現されていることだ。

世間におけるいわゆる「常識」なるものは,その常識によって社会を統制・支配し,巨額の経済的利益を得ている誰かがどこかに存在するから「常識」たり得ているのであり,本来の「科学」とはおよそ無縁であることが決して珍しくない。

だからこそ,「真理」を探究する学問の存在意義があるのだ。


[関連記事]

 Al Gore could become world's first carbon billionaire
 Telegraph.co.uk: 03 Nov 2009
 http://www.telegraph.co.uk/earth/energy/6491195/Al-Gore-could-become-worlds-first-carbon-billionaire.html

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