コンプライアンス・アズアサービス(Compliance as a Service (CaaS))
SaaS代表されるようなクラウドコンピューティングサービスの提供と関連して,様々な法的議論が世界的な規模でますます白熱化している(←ただし,日本人の多くは,日常的に英語文献を読む習慣がないので,そうでもないかもしれない。日本語の文献やWeb上の記事を読む限り,基本的には牧歌的なものが非常に多い。)。
この点については,様々な見解がある。
しかし,クラウドコンピューティングサービスについて積極的に評価しようとする立場の人々でさえ,プライバシーや情報セキュリティ上の重大な問題があることを認めている。
そのような人々の中からCaaS(Compliance as a Service)という言葉が生み出されてきたようだ。正確な発音は知らないが,たぶん「カース」と発音するのだろう。
Compliance as a Service (CaaS): The Enabler Role of Legal, Security and Privacy Professionals
Information Law Group: November 16, 2009
http://www.infolawgroup.com/2009/11/articles/cloud-computing-1/compliance-as-a-service-caas-the-enabler-role-of-legal-security-and-privacy-professionals/
ただし,強欲な経営者には,もともとコンプライアンス(法令順守)の気持ちなど全くないので,無意味かもしれない。
あくまでも一般論だが,ここでもまた,「(内部統制を含め)全てのマネジメントシステムは,経営陣が「悪」である場合には正常に機能しない」というあまりにも当たり前の法則が適用されることになる(←「経営陣が破綻その他の理由により消滅してしまった場合や,経営陣が犯罪者である場合などには,正常な経営陣が存在することを必須の前提とする現在のマネジメントシステムの考え方が根本的に破綻してしまう」という重大な欠点を有することは,これまで何度も指摘してきたとおりだ。)。
公開銃殺刑や全財産没収刑のような極端な刑罰を法定しても完全な抑止はできない。そのことは,例えば中国において重大犯罪とされるような犯罪について,現実に公開銃殺刑などが実行されても,それでもなお犯罪の発生が抑止できていないことからも理解できる。
コリン・ウイルソンが指摘しているように,「人間の脳の半分には神が住んでおり,残りの半分には悪魔が住んでいる」。そのいずれが発現するかは,状況と環境と機会によって左右されるのが普通だが,その両方の要素を常に持っている存在,それが人間だということを理解することが大事だ。
100パーセントの善人は存在しないし,100パーセントの悪人も存在しない。
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