« 個人情報の盗難・紛失・流出が続く | トップページ | 米国連邦政府のクラウドコンピューティングシステムの概要が公表される »

2009年9月14日 (月曜日)

インターネットの選挙利用

下記の記事が出ている。

 When it comes to politics, the internet is just another channel, says Bill Thompson
 BBC: 11 September 2009
 http://news.bbc.co.uk/2/hi/technology/8249343.stm

この記事を読んで感ずることは「日本の貧困さ」だ。

現行の公職選挙法は,選挙におけるインターネットの利用を明文で禁止しているわけではない。しかし,政府の公式解釈は「禁止」ということで通してきた。これは,一つの法解釈に過ぎないものであって,何らの権威をもつものでもない。したがって,何らかのかたちで,そのような解釈が誤りであることを裁判所で確定することを求めることができなければならないのだが,抽象的違憲審査権がないとするのが通説・判例であるため,公職選挙法違反で起訴されるまでは誰もこの論点について裁判所の判断を求めることができないという非常に奇妙な現象が発生している。

実は,このことは,特許無効確認訴訟等でも同じであり,確認の利益について非常に限定的な解釈を正しいとするのが通説である現状では,「理論的に無効だ」という理由だけで訴えを提起することができない。確認の利益の問題と抽象的違憲審査の問題とは法理論上では異なる問題ではあるけれども,議論それ自体を抽象モデル化すると実は全く同じ問題であり,ただ,その現象形態が異なっているだけだということに気付くことができる。

しかしながら,これら抽象的違憲審査権等に関する通説・判例は,これまた「ひとつの法解釈」に過ぎず,明文の規定でそのように定められているわけではない。また,通説とは言っても,東大の公法系教授らが主張してきた考え方だという理由で大方がなびいていたのに過ぎないのであり,法理論それ自体として特に優れているというわけでもない。

このようなことを書くと,せっかく一所懸命に司法試験の勉強をしている学生諸君に大きな混乱を与えてしまうかもしれない。

しかし,「理論」とは「誰かの主観的な主張」に過ぎず,それ自体として常に客観性・合理性をもっているというわけではないということを理解してもらいたいのだ。通説とは異なる視点に立てば通説とは別の理論も十分に成立可能だ。所詮は「説明の仕方」の一種なのであって,それ以上でもそれ以下でもない。問題は,政治的な状況を含め法理論それ自体とは全く関係のない要素によって優劣が決定され,裁判所で採用されるかどうかが決まってしまう。ただそれだけのことに過ぎない。

さて,これまでの訴訟法の基本モデルは,それはそれで原則的にはよいのかもしれないが,現代の状況の下では非常に多くの問題を抱えている。真に深刻な問題は,現代の状況に合わせた新たな基本理論を構築できるだけの有能な人材が(世界中どこを見渡しても)全く見当たらないということになるだろうと思う。その原因は,「哲学の不在」に尽きる。単なる秀才にそれを求めることは最初から無理なことだ。

人類は,最も不幸な時代に生きているのかもしれない。

|

« 個人情報の盗難・紛失・流出が続く | トップページ | 米国連邦政府のクラウドコンピューティングシステムの概要が公表される »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 個人情報の盗難・紛失・流出が続く | トップページ | 米国連邦政府のクラウドコンピューティングシステムの概要が公表される »