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2009年1月19日 (月曜日)

カンニング

今年も入試シーズンが始まった。17日と18日には大学入試センター試験が実施された。相変わらずリスニング試験用装置のトラブルが発生したらしい。リスニング試験は,ありとあらゆる意味で全く意味のない試験なので廃止したほうがよい(リスニング試験に意味があると主張する者は,すべての学生を対象にした統計調査を実施することにより,その事実を証明してみせるべき義務がある。しかし,そのような統計を実施すれば,全く意味がないということがますますもって明確になり,墓穴を掘ることになるであろう。このことは自明だ。)。

それはともかくとして,試験というと必ずカンニングの問題が発生する。カンニングをしても,合格後の学業成績が悪ければ遠慮なく何名でもどんどん排除(退学,除斥等)できるような仕組みになっていれば,カンニングがあっても何ら怖れることがないのだが,世の中そうなっておらず,妙な感情論だけ先走ってしまっているので,どうにもならない。というわけで,入口となる入学試験段階でのカンニングの防止に誰もが躍起にならざるを得ないという状況にある。

数年前,韓国では,携帯電話を用いたカンニングが話題になった。現状でどうなっているのかは知らない。

 韓国全土に衝撃。携帯電話カンニング事件を追う
 +D Mobile: 2004/12/13
 http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0412/13/news033.html

中国では,大学の入試だけではなく,公務員試験でもカンニングがあるとのことだ。何となく心情は推測可能だ。中国では,勤務態度が悪い場合には遠慮なくどんどん解雇できるような仕組みになっているのかどうか知らないが,もしそうでないとすれば,やはり,入口にあたる公務員試験の段階でカンニング防止を徹底するしかないことになるのだろう。

 公務員になりたい!カンニング摘発が歴代最多に-中国
 中国ニュース通信社: 2009年1月17日
 http://www.recordchina.co.jp/group/g27739.html

ちなみに,日本では,大分県の教員試験においてカンニング以上に悪い慣行があったことが明らかとなっている。おそらく,大分県だけではない。現在,教員の中には生徒に対して教育をすることができない程度にノイローゼなどの症状に陥っている教師がかなり多数あるということなのだが,大分県で起きたような不正行為が大分県だけの特殊現象であるとは到底考え難いので,そのようなノイローゼ状態になっている教員の中の何人かはもともと能力も実力もないのに何らかの不正な方法で採用された者である可能性があるのではないかと想像したくなる。

 江藤元参事に有罪判決、教員採用受験者ら不正に憤り
 Yomiuri Online: 2008年12月13日
 http://kyushu.yomiuri.co.jp/local/oita/20081213-OYS1T00206.htm

もともと何も能力がない者は,普通の業務を遂行する能力がないことはもちろんのこと,時代の変化に対応できる能力もあるわけがない。この場合でも,そのような不正行為をして就職をしたことがあとから判明したならば,遠慮なくどんどん解雇できるような仕組みになっていれば何も問題はないのだが,現実にはそうではないので,どうにもならない。社会の中に膿が目いっぱい蓄積され続けることになる。

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コメント

小倉 先生

夏井です。お世話になっています。

小さいころから独学で何でもかんでもやってきたので,自分で習得する技術みないなものが自然と身についてしまったんじゃないかと思います。他人のメソッドを信頼しないという姿勢は,傲慢だという批判を浴びやすいという重大な欠点がありますけどね。(笑)

さて,英語ですが,法学に関する限りは,英語文献を読める力がないと授業が成立しなくなってしまうので,入試でやるかどうかは別として,学生に対しては,とにかく大学1年生の間に十分な力をつけてほしいと思っています。

他の学部や学科の中には英語と全く無関係のところが少なくないでしょう。そういうところでは,英語を入試の必修科目とすることそれ自体がナンセンスかもしれないですね。

投稿: 夏井高人 | 2009年6月15日 (月曜日) 07時06分

夏井先生が40歳からどのように独学したらそこまでいろいろな文献が読めるようになるのか,今度お会いした機会にお聞かせ下さい。

それはともかく,センター試験って,人間に序列漬けを行うことを目的としているものではなく,大学教育を受けるのに相応しい能力を持っているかを示す指標の最大公約数的なものを推し量るものでしかないので,「英会話能力」という大学教育においてはそれほど必要とされていない能力を無理して入れることはないと私も思ったりします。そういう能力が備わっている学生が欲しいと思う学部は別途二次試験で試せばいいわけですし。

投稿: 小倉秀夫 | 2009年6月14日 (日曜日) 11時24分

パーカーさん こんにちは。

リスニングの力が必要だということそれ自体については,私も全く同感です。聞き取りができなければ,海外の会議に出席してもただ座っているだけになってしまうことは当然のことですよね。私自身は,ホテルに宿泊しているときなどには,できるだけ英語のTV番組や映画などをかけ,英語特有のリズムや抑揚に慣れるようにしていますし,自宅でもときどきそうしています。

しかし,大学入試にはリスニング試験は必要ないと思います。英語のリスニングよりももっと大事なことがいくらでもあります。その意味では,パーカーさんがおっしゃる「大学入試に関しては、私は「英語自体が意味がない」」というご意見の意図されるところには賛成することができます。

ただし,大学及び大学院では,学生には英語の書物をたくさん読んでもらわないといけないので,大学入学時点では英語力ゼロの学生であっても,大学1年生の間に英語エキスパートと呼ばれる程度の力量をもてるようスパルタ教育をする必要はあるのじゃないかと思っています。そうじゃないと大学や大学院の授業が成立しなくなってしまいます。少なくとも私の担当科目に関する限り,英語の語彙力と読解力がない学生は,全くついてくることができません。また,卒業後においても,かなり多くの企業で英語や中国語を含む主要な外国語の能力が求められることがあるので,その意味でも,遅くとも大学卒業までには英語力(またはそれ以外の何らかの外国語力)を可能な限り高めておくことは,少なくとも損なことではないだろうと思っています。

なお,手前味噌で恐縮なんですが,私は40歳で大学教授に転職しました。そして,大学教授という仕事上の必要に迫られ,40歳以降に独学で外国語を勉強し始めました。45歳ころからは海外のコンフェレンスに出席して研究発表をしたり討議したりできるようになりましたし,53歳になった現在,適切な辞書があれば,約30カ国語くらいの言語の書物を読むことができるようになりました。私は,若いころに音楽をやっていたので,普通の人よりはかなり耳が良いのではないか,少なくとも微妙な音程やリズムなどの相違を聞き分けるための訓練ができているのではないかと自己評価しています。おそらく,それが外国語会話等でもプラスになっているのでしょう。

パーカーさんは,「傲慢さ」と表現されていますが,むしろ「失敗を怖れる気持」と表現したほうがより正確なのではないかと思います。常に成績評価ばかり気にして育ったようなタイプの秀才や優等生ではとりわけそのような傾向が強いと思います。私自身は,そのようなことをあまり気にしない人間なので,自分の発音はかなりひどいです。友人達は私が発音する英語のことを「ダライラマの英語のようだ」と言います(笑)。でも,意見の実質的な内容がちゃんとしていれば英語発音が多少間違っていても私の意見を聞いてくれるはずだと信じておりますし,事実そうでした。海外で活躍されている日本人の中には必ずしも流暢な英語を話すことができるわけではないけれども,現地の人々やその組織の関係者から尊敬され,立派に職務を遂行されている方が大勢おられることを知っています。「上手に話すこと」や「効果的にプレゼンテーションすること」にこだわり,その失敗を怖れて小さくなってしまうのではなく,「いかに自分の意見を鍛えるか」「いかにそれを相手に伝えるか」という実質的部分を重視するようにすれば,どのような気持で何をなすべきかがおのずと見えてくるはずだと信じております。

要するに,人間は,必要に迫られれば,かなりのことをやり遂げるだけの能力を潜在的には持っているので,あとは,とにかくそれを続けるだけの好奇心と根気と集中力と体力があるかどうかという問題だけになってしまうような気もします。

投稿: 夏井高人 | 2009年6月12日 (金曜日) 09時17分

英語の力の測定に、リスニング試験は意味があると私は考えます。

英語力をつけるために主に読書のみに頼ったいわゆる“英語名人”たちの間違いだらけの英語は、音声を軽視したことの結果でしょう。元明治学院大学故松本亨氏は多読の提唱者でしたが、たまたま氏の録音されたテープを聴く機会があったときも、やはり音声は軽視できないと私は痛感しました。

日本人の英語力が低いのはいろいろ、多くの要素が複雑に絡み合っていますが、その要素の一つが「傲慢さ」です。プライドが高すぎるのです。たとえば、英語の歌はリスニング力をつけるのに有効な手段であります。ところが、こんな簡単な教材を使おうとする人はきわめて少ない。それは、学問というイメージとはなれているからでしょう。

英語自慢をへこませるのは簡単、彼らは英語の歌がほとんどわからない。あと、映画もわからないところだらけです。リスニングが弱いのです。ニュース放送ならば背景知識でカバーできますが。
でも、背景知識を頼りにしただけの英語力向上では、あまりにも偏りが生じます。

リスニングでもめごとがあったということは、機械の調子とかいろいろ言い訳はあるでしょうが、まだリスニングで苦労する若者が多いということですね。

大学入試に関しては、私は「英語自体が意味がない」と考えますね。大学入試から英語という科目を外すことに大賛成です。

でも、英語の実用度を論じるならば、リスニングを切り離すことは絶対にできません。

投稿: パーカー | 2009年6月12日 (金曜日) 00時07分

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