テレビの時代は終わった
私が小さい頃,テレビは夢の電化製品の一つだった。
そのころ,町内でテレビを持っている人は金貸しの婆さんひとりだけだった。高利貸だったらしく,母は「そんなところに行っちゃ駄目」と言っていたけれども,私はこっそりとその家の庭まで出かけた。何しろ,縁側を開けて子供達にテレビを見せてくれるのだ。今から考えると,玩具同然の粗末な製品だったのだけれども,当時としては時代の最先端であり,金持ちの象徴であり,とにかく「すごい機械だ」と思って見つめていた記憶がある。
東京オリンピックの年には,私は小学生だった。校外授業で「カラーテレビ」なるものがあるから観に行くと先生が言うので,教室の生徒全員でゾロゾロと歩いた。そして,到着した場所はNHKの地方支局の建物だった。ちょうどレスリングの試合を放送しているところだった。
「カラーテレビというからには,さぞかし綺麗な映像が見られるだろう」と期待して出かけたのだったが,現実にそこに待ち受けていたのは失望だけだった。何しろ,普通の白黒映像のところどころが紫色や赤紫色になっているだけといった程度の粗末な機械に過ぎなかったからだ。
初期のカラーテレビがすべてこの程度のものだったのかどうかは知らない。しかし,私が生まれて初めて観たカラーテレビはそのようなものだった。
しかし,私の失望とは全く無関係に,その後,テレビは,どんどん進化し性能を向上させた。そして,画面サイズもどんどん大きくなった。
「室内でも映画館のような臨場感」
これが大型テレビのセールスポイントだった。たしかに,そのような大画面化をめざす製品は大いに売れたと思う。近年の液晶テレビやプラズマディスプレイなどがどんどん大画面化をめざしたのは,その延長戦上にあることだと理解している。
しかし,ここで考えなければならないことがひとつだけある。それは「映画館のような臨場感」というセンスだ。このセンスが通用するのは,一定の世代に限定される。つまり,映画館世代でなければ,「映画館のような臨場感」を楽しみたいと思うことができない。
私の世代より古い世代は,まさにそのような世代だ。しかし,私よりも若い世代の人間は,基本的にテレビが映画館を滅ぼしていくという歴史的過程の中で生きてきた世代だ。つまり,彼らにとっては映画館内でのフルスクリーンで観る画面の感動など無縁だ。
映像コンテンツにしても,テレビ番組の中で溢れきっている。ケーブルテレビではとりわけそうだ。わざわざ映画館まで出かける必要など全くない。
要するに,そのような映画館とは無縁な精神構造の形成を促進してきたのは,まさにテレビ産業それ自身だったと言える。
このような精神構造の変化は,携帯電話,モバイル,ワンセグなどによって更に促進される。そして,いまや,フルスクリーンの大画面で映像を観る必要性を感ずる人は,非常に限られてきてしまっている。
以上のことは,テレビ産業それ自体がすでに衰退期の真っ只中にあるということを意味している。かつ,このことは,テレビのコンテンツがアナログ電波で放映されようとデジタル電波で放映されようと無関係のことであり,冷酷に進行している情報技術の進歩という歴史的な過程の一部に過ぎない。
現実に生きている若者の多くは,コンテンツをインターネットからダウンロードして観るものだと思っている。あるいは,コンテンツを取得するということは可搬型の小型デバイスを操作することを意味するのだと思っている。単にテレビ番組を見なくなっているだけではなく,ビデオテープやDVDを借りる人の数もどんどん少なくなってしまっている。
基本的に,彼らは,自分が観たいコンテンツを自分が観たいときに観たいのであって,しかも,番組予約のような面倒なことはしたくない。決められたプログラム(番組表)に自分のタイムスケジュールを縛られて行動したくないと思っている。モバイルで好きなときに好きなコンテンツを楽しみたいのだ。毎年暮になると紅白歌合戦を楽しみにした世代は,それくらいしかフルセットの歌謡娯楽がなかったからそうしたのであって,コンテンツが満ち溢れている現代では,もはや単なるお仕着せに過ぎなくなってしまっている。
「なぜ紅白に分かれて対戦しなければならないのか?」
それは,源平合戦を学校で必死になって覚えた世代にしか分からないことになってしまったと言える。今となっては,そのようにして合戦することについて,何らの必然性も合理性も存在しない。
これからの世代の人々は,自分が好きな時に自分が好きなコンテンツを自分のモバイルで楽しむのであって,他人からのお仕着せには一切応じようとしないだろう。
このことは,放送のコンテンツがプログラム(番組表)に従って配信されるという基本的なビジネスモデルそれ自体が完全に崩壊してしまっていることを意味する。
しかも,そのようなオンデマンドによるコンテンツの配信を積極的に進めてきたのは,実はテレビ産業自身だった。
結局のところ,テレビ産業がこれまでやってきたことは,自滅への道に過ぎなかったと言わざるを得ない。
地上波デジタルが不振だと報道されているが,それは当たり前のことだと思う。
私の予測では,放送産業が復活することはないだろう。
放送と通信は融合するのではない。放送が消滅するだけなのだ。
日本国政府は,政策を誤ってはならない。
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