Bio特許に対する批判-「知恵」を特許で囲い込むな
バイオテクノロジーが大学や企業の研究室内にあるだけの間は特に何も問題にはならなかったのだが,それが特許化され,医薬品や化粧品などとして市場に出回るにつれ,世界各国から大変な非難を浴びることになってしまった。最も主要な非難は,「伝統的な「知恵」を特許で囲い込むな」といったタイプの非難だ。
Big firms ripping off traditional knowledge owners
East African: December 20 2008
http://www.theeastafrican.co.ke/news/-/2558/504714/-/rm3x0wz/-/
このような非難が正当だと思われる特許は確かにたくさんある。例えば,韓国や台湾などで出願された特許にしばしば見られるものなのだが,伝統的な漢方薬の処方をそのままラテン語の植物学名に置き換えただけで発明として出願され,特許が付与されている例が結構たくさんある。出願するほうにも問題があるけれども,それを認めてしまう特許庁にはもっと問題があることは否定できない。当然のことながら,そのような特許実務に対し,漢方薬の元祖である中国から厳しい批判を受けてきたことは周知のとおりだ。もっとも,中国で出願された特許の中にも同じようなものがあることもまた明白な事実だから,韓国や台湾だけが悪いというわけではない。特許制度は,公開されることが前提の知的財産権保護制度なので,各国から出願された特許のクレームなどを読んでみると,すぐに上記のようなことを理解することができる。
しかし,このような判りやすい例は,バイオ関連特許全体の中では比較的少数なのではないかと思う。実際にはもっと巧妙なものが多い。しかも,様々な国々の民族や部族などが伝承で利用してきた「知恵」がすべてデータベース化されインターネット上で公開されているわけではないので,上記のような非難が妥当なものであるかどうかを検討したくてもなかなか難しいというのも事実だ。このような情報流通の阻害により判定不能となっているという問題は,今後しばらくの間は解消しないだろうと思う。だからこそ,かなり「ずるい」特許出願が可能となってしまう素地はある。
反対に,明らかに上記のような非難が妥当しない特許もまたたくさんある。伝承されてきた「知恵」がヒントとなって開発された特許発明やそれに基づく製品はたくさんある。けれども,そのような特許や製品が存在しているからといって,伝承されてきた「知恵」を利用し続けることが特許侵害になるとは到底考えられない。特許法は,クレームに書かれていることのごく一部しか権利として法的に保護しない。
にもかかわらず,上記のような非難がやまないのは,要するに,そのような非難が出てくることが多い地域では,特許制度をきちんと理解し運用することのできるだけの社会制度,社会秩序,人材,予算などが不足しているからだと考えるべき余地がある。
法律家が本来なすべきことは,伝統的に当該地域においては周知であった「知恵」をクレームのかたちに書き換えたのに過ぎないような特許やその出願については,明確に「無効だ」というべきだし,無効の裁判を経なくても「絶対無効」として無視できるような制度を構築するために努力することだろうと思う。それと同時に,単なる「知恵」に過ぎないのではなく,法的な保護に値する「発明」については,誤解を解き,きちんと説明できるようにするための能力を常に涵養することが重要ではないかと思う。
「素人には説明してもわからないことだから」と投げてしまうような態度や蔑視・冷笑するような態度は最も良くない。
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