新聞顧客の個人情報を暗号化して管理するシステムの特許事件(平成20年(行ケ)10107号審決取消請求事件)
個人情報の管理のための仕組みを特許化する試みは比較的多数存在し,その中の多くは個人情報を暗号化する技術を組み込んだものとなっている。知的財産高等裁判所は,このような特許申請に関する事件において,非常に興味深い判決をした。
(事案の概容)
原告らは,発明の名称を「新聞顧客の管理及びサービスシステム並びに電子商取引システム」とする発明について,平成12年11月10日に特許出願をしたが,平成17年9月8日に拒絶査定を受けたので,同年10月12日,これに対する不服の審判を請求した(不服2005-19713号事件)。
原告は,同年10月12日,同年11月11日,平成19年9月10日及び同年12月28日付けで手続補正をしたが,特許庁は,平成20年2月13日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決(以下「審決」という。)をし,その審決の謄本は平成20年2月26日に原告らに送達された。
審決の理由は,要するに,特許請求の範囲の記載が不備であるため,本願は,特許法36条6項2号に規定する明確性の要件を満たしていないし,仮にその要件を満たしたものであるとしても,本願発明は,引用発明及び周知事項に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであって,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないものであるから,本願は拒絶されるべきものである,というものである。
そこで,原告らは,審決の取消しを求め,知的財産高等裁判所に訴えを提起した。
知的財産高等裁判所は,平成20年10月30日,原告らの請求を棄却する判決をした。
知的財産高等裁判所平成20年(行ケ)第10107号審決取消請求事件判決
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20081030170642.pdf
原告らの主張は多岐にわたっているが,その中でも比較的意味があると思われる主張に対する裁判所の判断は,次の(3)と(4)の部分だと思われる。そして,この判決で最も注目すべき点は,判決の末尾において,「なお書き」として付言している傍論部分だと考える。
(裁判所の判断)
(3) 相違点3(暗号化の範囲)の容易想到性判断の誤りについて
原告らは,本願発明における対象物は個人情報で,その組織は班,団,地区支部,ブロック,本部からなるものであり,その個人情報の使用はサービスのためであるから,階層化の発想のない書籍の広告・販売システムである引用発明の組織,情報処理からは,最初に情報を入手する営業マンによる個人情報の暗号化や,転送,階層ごとの平文化制限等を予測することができず,相違点3(暗号化の範囲)について容易想到であるとした審決の判断は誤りである旨主張する。
しかし,原告の上記主張は,次のとおり理由がない。
ア 本願発明が新聞販売に関するものであることや,組織を構成する際に階層化が設計的事項であって引用発明に階層化を考えることができることは前記認定のとおりである。
また,企業の組織において,顧客個人情報の暗号化をどの部署で誰が行うかも,必要に応じて適宜取り決めることができる事項であり,一般に暗号化の目的が情報の閲覧を制限することであることを勘案すれば,情報が閲覧される機会が最も少なくなるように,最初に情報を入手する営業マンが顧客個人情報を暗号化するよう取り決めることにも困難性はない。
周知例4(甲5)には,「アクセス・レベルを部署や階層によって細かく設定することで,本来の目的以外に個人情報を利用することを防いでいる。無制限にアクセスを許していては,データの社外流出につながりかねないからだ。」という記載があり(甲5,44頁中欄3~10行),この記載からすると,階層に基づく個人情報へのアクセス制限は周知であると認められる。周知例5(甲6。発明の名称「電子文書の管理方法及び文書管理システム」)にも,情報を暗号化すること(甲6の段落【0022】参照),利用者に応じて平文化できる範囲を設定し(甲6の段落【0017】参照),それに応じたパスワードを保有して(甲6の段落【0021】参照),自動的に平文化を行うこと(甲6の段落【0027】参照)が記載され,いずれも周知であると認められる。
イ したがって,以上の周知事項に基づいて,「担当部署の担当者のパスワード別に,平文化できる範囲を設定し,各PCで自動的に平文化することに困難性はない」とした審決には誤りがなく,原告らの上記主張は理由がない。
(4) 相違点4(専用キーの使用)の容易想到性判断の誤りについて
原告らは,本願発明における顧客と本部とは,商品売買の関係にあるのではなく,本部からのサービス提供について,個人情報保護のために専用キーを用いる関係にあるから,周知例6の方式を,階層の発想のない引用発明に適用することは困難であるから,これを容易であるとした審決の判断は,誤りである旨主張する。
しかし,原告らの主張は,以下のとおり理由がない。すなわち,請求項1には,「本部PCは前記コード化により自動で顧客の認証を行い,ついで前記電子注文に応じて,前記本部PCからの指示により前記本部又は各階層に設置されたデリバリーセンターから,電子注文に対応した商品を顧客に届ける」と記載されているので,本願発明における顧客と本部との関係は商品販売関係を含むことが明らかである。また,引用発明に階層化を想定し得るとした審決の判断に誤りがないことは,前記認定のとおりである。したがって,周知例6に記載された周知の専用キーを用いる公開鍵暗号方式を引用発明に適用することが容易であるとした同旨の審決の判断に誤りはなく,原告らの上記主張は理由がない。
(傍論としての判示事項)
特許法36条6項2号は,特許請求の範囲の記載において,特許を受けようとする発明が明確でなければならない旨を規定する。同号がこのように規定した趣旨は,特許請求の範囲に記載された発明が明確でない場合には,特許発明の技術的範囲,すなわち,特許によって付与された独占の範囲が不明となり,第三者に不測の不利益を及ぼすことがあるので,そのような不都合な結果を防止することにある。そして,特許を受けようとする発明が明確であるか否かは,特許請求の範囲の記載のみならず,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し,また,当業者の出願当時における技術的常識を基礎として,特許請求の範囲の記載が,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であるかという観点から判断されるべきである。
ところで,審決は,請求項1(1)についての「コード番号を付してコード化し」,「暗号化し」,「転送する」などの記載,請求項1(2)についての「平文化できる範囲を設定し」などの記載,請求項1(3)についての「顧客個人情報を登録し」,「再暗号化して登録する」,「階層別に管理する」などの記載,請求項1(5)についての「登録してデーターベース化し」などの記載が,「人間がPCを操作して行う処理であるとも,PCが人間を介さず自動的に行う処理であるとも解することができ,そのいずれを意味しているのかが不明であるため,その特定しようとする事項が明確でないから,特許法36条6項2号に規定する要件を満たさない」と判断した。
しかし,審決の上記判断は,その判断それ自体に矛盾があり,特許法36条6項2号の解釈,適用を誤ったものといえる。すなわち,審決は,本願発明の請求項1における上記各記載について,「人間がPCを操作して行う処理であるとも,PCが人間を介さず自動的に行う処理であるとも解することができ(る)」との確定的な解釈ができるとしているのであるから,そうである以上,「そのいずれを意味しているのかが不明であるため,その特定しようとする事項が明確でない」とすることとは矛盾する。のみならず,審決のした解釈を前提としても,特許請求の範囲の記載は,第三者に不測の不利益を招くほどに不明確であるということはできない。
むしろ,審決においては,自らがした広義の解釈(それが正しい解釈であるか否かはさておき)を基礎として,特許請求の範囲に記載された本願発明が,自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものといえるか否か(特許法2条1項),産業上利用することができる発明に当たるか否か(29条1項柱書)等の特許要件を含めて,その充足性の有無に関する実質的な判断をすべきであって,特許法36条6項2号の要件を充足しているか否かの形式的な判断をすべきではない。前記のとおり,その判断の結果にも誤りがあるといえる。
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